2012年3月25日日曜日

現代の別れ


一昨日は大学の卒業式でした。
お世話になったゼミの先輩方も卒業されて感動も一入ですが感情的なものは抑えて書きたいと思います。
卒業というのは卒業するものにとっても残されるもにとっても大きな別れの儀式です。
しかし、現代の別れの持つ意味合いは大きく変わったのではないかと思います。
それにはSNSの登場が大きく寄与しています。
SNSによって友人に直接コンタクトをとらなくても近況がわかるからです。

これってものすごい大きな変化なのではないでしょうか。

もしSNSがなければ、
遠く離れた友人とのコンタクトの手段は電話やメール、はるばると遠い道のりを直接会いにいく、だいたいこの3つしか手段がないかと思います。
そしてこれらの行動には、能動性が避けようになく伴います。
電話をしよう。と思わなければ絶対にしないですし、メールもしかりです。
受け手にとっても送り手に比べれば小さいですが、受け手とコンタクトをとろう(メールを見ようとか電話をとろうとか)としなくてはいけません。
一方、SNSはというと受動的にコンタクトがとれます。受け手はタイムラインをみれば不特定多数の友人の近況を知ることができ、送り手も一つの動作で不特定多数の友人に近況を発信できます。
以前であれば久しぶりに会った友人との会話は「久しぶり、最近どう?、元気してる?」だったのが、今では「久しぶり、この前フランスいったみたいだけどお土産は?」とかになってしまう。

自分の日常の中で関わりのある世界を「ウチ」、関わりのない世界を「ソト」とするならば、SNSの登場は「ウチ」の拡大であり、「ソト」の縮小です。
別れは「ウチ」から「ソト」への通過儀礼であったものが「ウチ」から「ウチ」、これからも「ウチ」であることへの確認の儀式へと変化したということなのかもしれません。

そのうち「別れ」は今の別れではなくなって死別と同義になるかもしれませんね。
みんなSNSをしましょう。そうすれば別れなくてすみます。


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