2012年3月29日木曜日

クラウド仕事術


縁会って本日はクラウド仕事術の著者、岡田充弘さんのクラウド仕事術セミナーに参加させて頂きました。
目から鱗の連続で、今までどんだけ無駄な動作していたんだということを切実に実感させて頂きました。

コマンド + S = 上書き保存
とか
コマンド + m = Dockにしまう
とか
いろいろ便利なショートカットあるのはしってましたが、
こうして改めて目の当たりにすると使いこなせるようにしたいと思いました。
英語を勉強するのと同じようにITリテラシーを高めるために少しずつ覚えていくことが大切ですね。やはり意識しなければ絶対にできません。

ほんとに貴重な機会でした。

面倒くさいことが嫌いなはずな人間が面倒くさい(効率的じゃないこと)を平気でやっている。面倒くさいを無くすための作業(ITリテラシーを高める)ことをめんどくさいと思うってことは個人的になかなか面白い発見でしたが
今回感じたのはこうした作業効率を大幅に変えてしまう(30%は無駄な時間)ITリテラシーをいかに組織全体に浸透させるかということです。

ごみ屋敷化したデスクトップ、樹海化したファイルサーバー。
こういう状態になってしまったパソコンをよく見ます。
私の所属する団体でもまさにこんなパソコンがあり、もはや私は共用パソコンの利用は放棄してしまいました。
こうした状況をなくすためには、組織全体で「整理」する意識が大切なのだと思いますが、決めごとを作っても、ちょっとくらい良いかと、すぐに形骸化してしまいます。
この「ちょっとくらい」が実はちょっとどころではないということを一人一人自覚しなくてはいけません。


組織全体としてやはり、意識して効率化の意識をもつこと、効率的なやり方を共有すること、無駄なことをしている人に対し苦言を呈することは大切です。
そうした組織文化を気づくために、今回私が経験したように、効率的な作業を一度体感することが必要かもしれませんね。






残業ゼロ! 時間と場所に縛られない クラウド仕事術 著;岡田充弘




2012年3月26日月曜日

第二言語習得論


英語、
現代のビジネスパーソンには必須の能力です。
多くの学生、社会人の方々がその習得に日々努力しているでしょう。
私もその一人です。
どうやって学べばいいか、みなさんそれぞれの工夫があるかと思います。





英語教師のための第二言語習得論 白井恭弘 著

英語教師のための、っとなっていますが、英語学習者も裏を返せば自分に教える教師です。
学ぶためにはどうすればいいか、その方法論を知ることは必ずしも無駄ではないとか考えて読んだ本です。

実際読んで、今まで自分が受けていた英語教育がいかに非合理なのか突きつけられました。
いや、結構ショックですよ。自分の受けていた方法は50年も前のもの何ですから。
というか、受けていた教育、あの「Repeat after me!」とか教科書訳して読ませるとかって、今振り返って思うのですが、学習者がいかに成長するかではなく、教育者がいかに効率よく教育するかを基本に設計されていたように思えます。
そう考えると、効率的で「いい」授業だったと思います。

こうした授業の方法って教師は先輩教師をみて、教えるのですから、しょうがないのかなとも思います。ちなみに、e-ラーニングなど、流し聞きが有効ってのも少し前の理論らしい。

じゃあどうすればってのは読んでみて下さい。

鍵は「大量のインプットと少量のアウトプット」です。
しかし、よく考えるとこれって言語学習だけじゃなく、あらゆる「学習」にいえることじゃないでしょうか。
要は、座学ばかりしても身に付かず、実際やってみることって重要だよねってことです。

もう教科書読ませるだけの教育はやめましょう!!ぶっちゃけ教科書読むのは教えなくてもできます。それよりも、実際にやってみせて、学習の必要を体感させ、モチベーションを高めることの方が大切です。





2012年3月25日日曜日

現代の別れ


一昨日は大学の卒業式でした。
お世話になったゼミの先輩方も卒業されて感動も一入ですが感情的なものは抑えて書きたいと思います。
卒業というのは卒業するものにとっても残されるもにとっても大きな別れの儀式です。
しかし、現代の別れの持つ意味合いは大きく変わったのではないかと思います。
それにはSNSの登場が大きく寄与しています。
SNSによって友人に直接コンタクトをとらなくても近況がわかるからです。

これってものすごい大きな変化なのではないでしょうか。

もしSNSがなければ、
遠く離れた友人とのコンタクトの手段は電話やメール、はるばると遠い道のりを直接会いにいく、だいたいこの3つしか手段がないかと思います。
そしてこれらの行動には、能動性が避けようになく伴います。
電話をしよう。と思わなければ絶対にしないですし、メールもしかりです。
受け手にとっても送り手に比べれば小さいですが、受け手とコンタクトをとろう(メールを見ようとか電話をとろうとか)としなくてはいけません。
一方、SNSはというと受動的にコンタクトがとれます。受け手はタイムラインをみれば不特定多数の友人の近況を知ることができ、送り手も一つの動作で不特定多数の友人に近況を発信できます。
以前であれば久しぶりに会った友人との会話は「久しぶり、最近どう?、元気してる?」だったのが、今では「久しぶり、この前フランスいったみたいだけどお土産は?」とかになってしまう。

自分の日常の中で関わりのある世界を「ウチ」、関わりのない世界を「ソト」とするならば、SNSの登場は「ウチ」の拡大であり、「ソト」の縮小です。
別れは「ウチ」から「ソト」への通過儀礼であったものが「ウチ」から「ウチ」、これからも「ウチ」であることへの確認の儀式へと変化したということなのかもしれません。

そのうち「別れ」は今の別れではなくなって死別と同義になるかもしれませんね。
みんなSNSをしましょう。そうすれば別れなくてすみます。


2012年3月22日木曜日

コインパーキング


コインパーキング
不特定多数の利用者が空いている車室に駐車し、利用した時間分の料金を支払う駐車場である。
街にある黄色い看板やらのあれですね。

ふと思ったしょうもないことですが、別に駐車することに用途を絞る必要ないんじゃないかなーと。
例えばカフェって本来コーヒーとか飲み物を飲む場として生まれたけど
今は、時間を潰したり、本を読んだり、仕事したりと個人のスペースを「買う」というニーズが生まれて、今では当たり前(一部のカフェ等では禁止したりしていますが)になっています。

そこからさらに派生して生まれたのがネットカフェ(マン喫)
使用用途はさらに多様化してシャワー浴びたり、寝泊まりしたりと何でもありです。

ここで言えるのは制作者の意図と使用者の目的がずれることは往々にしてありえる、というか、ずれることの方が多いということだと思います。
「音のないヘッドホン」
疲れた帰宅路に、たまたま遭遇した同僚などに声をかけられたくないという思いから音楽は聞いていないけどヘッドホンをつけているというOLの話です。
ヘッドホンの本来の使用意図に反して、周囲に「私は音楽を聴いているのだから話かけないで」というシグナルを発するツールとして使われています。

しかし、コインパーキングって余り制作者の意図に反した使われ方がされていないんです。
利用者は大人しく車を停めるし、大人しくお金払って、大人しく車を出す。
これって生活者らしくない。
そう思いました。

だってある一定の空間を一定の料金体系で借りれる
それがコインパーキングなのだとしたらもっといろいろな使い方をしても良いと思う。

例えば、車で移動販売とかしてもいいし、空間だけ借りて大道芸とかやってもいい。
もしかしたらイスと机持ち出して即席のオープンカフェなんてのもできるかもしれません。
こうした自由な発想で好きに使用できる空間にしてもいいんじゃないかと思う訳です。
毎日いろいろな人がいろいろな目的で入れ替わり立ち替わり使う。屋台なんかやってもいいと思うし。ある種の混沌とした場を形成して、「祭り」が起きる。

こんなコインパーキングが会っていいと思います。
(法律に詳しくないので、法的にできるかはわかりませんが)

2012年3月21日水曜日

幸せって?



幸せって何?
幸せな人生を送るっていうことは人生の最大の目標だと思います。
それがお金だという人もいれば、円満な家庭という人もいて人それぞれです。

じゃあその根源の部分は何か?

こういう考えもあるらしいですね。
アドラー心理学というものの中で
「どんな状況でも幸せを感じるための条件」というものがあり、

それが共同体感覚です。
以下Wikipediaの引用です。
共同体感覚が発達している人は、自分の利益のためだけに行動するのではなく、自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動する。なぜなら、人間は社会という網の目の中に組み込まれている(Social Embeddedness)からである。それに対して、共同体感覚が未熟な人は、自分の行動の結末や影響を予測することをやめて、自分の利益だけしか目に入らないようにする。仮に、極端に自分の利益のことだけにしか関心がない人がいるとしたら、その人は自分の利益になる場合にだけ、他人と協力する/他人を利用しようとするだろうと想像される。そうすると、他人が自分を必要とする場合というのは、他人がその人自身の利益になる場合にだけということになり、安心して所属することが難しくなるだろう。このようにして、共同体感覚の未熟な人は、所属に問題を抱えやすく、不幸な人生を送ることになりやすいことになる。

これをもう少し細かく見ていくと3つの要素が満たされているかが重要のようです。
その3つとは
・自分を好きでいること。
・他の人を信頼していること。
・貢献できていること。
です。

考えてみると結構的を得ていて、
自分のことが大好きで、社会に貢献している超大企業の経営者でも他人を信頼できずに孤独を感じている状況では幸せとはいえません。

この3つのどれを書いている状況でも人は幸せになれないんですね。

でも考えないといけないのはこの3つの条件は人によって様々で、自分にとっての条件を考える必要があるということです。

例えば好きな自分というのは人によって異なります。
自分の陽気で明るい部分が好きという人もいれば、何事も真剣に取り組む自分が好きという人もいる。
自分が自分のどういう所が好きかを見つめる必要があるしこれは他の2つにも言えます。

幸せって何?というと漠然としていてわかり辛い。
でも自分のどこが好きか?、信頼できる状況ってどういう状況か?、自分にとっての貢献って何?こう考えると少し考えやすいです。

自分の幸せをこの3つの観点から見つめ直すことも大切かもしれません。




2012年3月20日火曜日

強みって何?


あなたの強みは何ですか?

就活生であればだれしも聞かれる質問だと思います。
正直難しい問いです。
そもそも強みって何?
そこから考える必要があるかと思います。

2種類の強み
1つは技術や知識
2つめは才能(資質)
要は努力で身につけられるものと身につけられないもの

就活の強みは?という質問で聞かれているのは後者の強みではないでしょうか。

もちろん前者の強みも大切ですがこれってあまり聞く必要がないんです。
技術や知識はある程度指標に置き換えられるからです。
〇〇検定○級 とか TOEIC 何点とか
あるいは大会などの成績かもしれません。
でもこれって履歴書をみればわかる部分。敢えて聞く必要がないし話した所で実際にどういう技術かなどは伝わってこない(語られたものでしかない)。
もし本当に知りたければテストするはずですし実際やっている所もある。
そして決定的なことにほとんどの学生の語る技術や知識は仕事で役に立たない、もしくは入社後でも十分身につけられることだと思います。
だから敢えて聞く必要がない。

だから2つめの強み、才能や資質の部分を聞かれているのだと考えるべきです。
でも才能や資質ってどう知れば良いのか。これが難しいから就活生は困る。




強みって何?才能って何?ってことが書かれていて読み終わるときには自分の強みが5つみつかる本です。

ここでいう才能や資質ってつまるところ性格とか人格のコアの部分、絶対に変わらない部分のことです。本の中ではこれを34個に分類しています。例えば競争性とか、慎重さとか社交性、ポジティブなどが挙げられています。どれかを持っていてどれかを持っていないということではなくてそれぞれの資質の強さで量られていて、その強いものが自分の強みという訳です。
こうした資質は脳のシナプス結合に影響するようなのですが生まれてからまもなく無数に増えて3歳から15歳までの間でほとんど失われるようで、二度と再生しません。
つまり、15歳までで強く現れた資質が残り、発達する一方、他は失われるということです。

もちろんその後の努力が無駄という訳ではないです。ポジティブでない人でもポジティブな行動とか思考はできるようになるでしょうが(ポジティブな資質がゼロではないから)、資質のある人に比べるとその成長の速度、容易さは全然異なります。
そしてどの資質が良いとか、どの資質が悪いとかいうことはないです。どの強みをもった人でも輝かしい人生を歩んでいる人がいます。

つまり、サッカーの才能とか弁護士の才能みたいなものはなくて自分の強みをどのように活かすかで人生変わるということです。
同じ職業で違う強みを活かして同じように活躍する人がいるということですね。
例えばコミュニケーションを強みとするマネージャーと指令性(周囲に道を示す力)を強みとするマネージャー、どちらも同じように活躍することができますが強みは違います。

結局、一番大切なのは、自分に強みに素直になることではないでしょうか。
どういう時に楽しいか(強みを使ってるのはどんな時か)を見つめ、強みをのばすことが大事ってことです。←「ゲームするのが楽しいからゲームする」ではなくてゲームのどこが楽しいかを見つめる、他の楽しみと関連づけて強みを見つけるということ。

どの資質がいいなんてことはない訳ですから。






生活者発想


世の中の何でもない普通の日常、確かに些細でありきたりな毎日。でもそこにも様々な発見があります。そしてそこには新しいビジネスチャンスが転がっているはずです。


「生活者」、消費者をある商品を「消費」する主体としてではなく「消費」する以前に様々な生活を営む者であり、その営みの手段として商品を選び「消費」する者であるという考え方のことです。大手広告代理店の博報堂が創った言葉です。


少し昔であれば生活者発想はあまり必要ではなかったかも知れません。何故ならとにかく技術で解決できることが多かったからです。こんなものあったらいいながわかりやすかった。
例えば携帯電話
いつでもどこでも電話ができたらいいな
非常に単純な発想で実現可能な技術さえあればできたと思います。
しかし、携帯電話ができてしまった今、技術力だけではよりいいものはできません。
「いい」という方向性を定めなくてはいけないからです。
ここに生活者発想の重要性があります。
この「いい」を知っているのは生活者だけだからです。(開発する技術者も技術者である前に一人の生活者なのですが)

商品の本質は生活者の「こんなのあったらいいのに」を実現することではないでしょうか?
日本は高い技術をもった国だからこそこの視点が忘れがちになります。
企業目線の「おれらこんなもん作れるんだ!!すごいだろ!!」という商品を人は欲しがりません。
iPodが売れてWalkmanが売れなかった(巻き返しはしましたが)理由
googleが世界一の検索エンジンになった理由
そこには生活者発想が見え隠れしています。

上に紹介した本は、じゃあどうやったら生活者発想ができるの?そもそも生活者発想って何?ってことが書かれています。

現在就活中ということでどの企業にいってもこの視点は忘れたくないですな。